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Exhibition

石上和弘展
「梢のキタタミ」
2023/11/3(金・祝) 〜 11/26 (日)

8月ワークショップ時 風景 記録動画はこちら

レンタル期間中の風景 キタタミスト(キタタミを借りた人)の風景

参考作品 2021「壁を歩く」展.jpg
参考作品:石上和弘展「壁を歩く」(ギャラリーナユタ 東京 2021)

梢のキタタミ

近所の木工屋から、大きな節(ふし)がたくさん散っている大きな秋田杉の盤を数枚購入した。節で割れてしまい細かく製材できないので用途が限られる。なかなか木工製品に加工できるような使い方ができない。古い材で、元は親類の製材所の在庫だったとのこと。店を畳む際に、使ってもらえるならと回ってきたそうだ。


これだけたくさん節が散っているということは、10メートルを越える高い場所に枝を張った材だと思う。長さは3メートル(10尺)、幅は45センチ(尺5寸)、厚みも6センチ(2寸)。これは、3番玉だろうか?根本からトラックに乗る長さに伐っていって、3本目という意味。(この材の1番玉は、末口で直径60センチはあったであろう。上質の天井板に使われたのではないかと考える。)

アトリエに持ち込んで、壁に立て掛けた。椅子に座って見上げると、枝を広げた梢の姿が浮かんで、枝や葉ががぶつかるざわざわとした音が聞こえる感じがした。大空の元で風に揺られている、そうだ、梢を眺めているんだと思うと身体も浮いて軽くなった。そこにとまろうとする鳥になれそうな気もしてきた。これを機会に、節の見え方が、もう一段深くなった。もう節は木目の模様のようなものには見えず、直立する幹に対して新たに伸びていく方向を示していた。

 

キタタミにも、節があるものがある。元々、彫刻の材料にならなかった端材を作品にしようと考えたが、それでも、節が朽ちて穴が空いたようなものは、まだキタタミには出来ずにいた。でもこの先は積極的に使えそうだ。床から壁に展開したキタタミは、地面に生えていた時と同じ向きになって、梢を作り、のびのびと壁に広がっていくだろう。秋田杉のキタタミもこれに加わっていく。
 

art cocoon みらい、そのギャラリーの向かいに、大きな木に抱かれる神社がある。散策してその梢を眺めることと、ギャラリーの壁に広がる梢のキタタミの鑑賞を、交差させてみたい。
築80年余りのギャラリーの母家も地元の材で作られているはずだ。やまびこが響くように、森と作品と建物が共鳴する場を作り出したい。

 

2023年7月  
石上和弘

新作「ベンチクロダ」1/5模型
新作「ベンチクロダ」1/5模型

ベンチクロダ

この作品は、黒田辰秋作《欅拭漆彫花文長椅子》の寸法を基に、材料である欅材の佇まいを引用して、自身の《キタタミ》をはめ込んだものだ。以前、オーセンティックな形態で、寝ころべるような長さのベンチの制作依頼があり、作ったことがある。

まず浮かんだのは、東京の小田急線の各駅停車駅あった古いベンチだった。依頼主から、参考までにと送ってもらったイギリスでの写真もあったが、結局、あまり先行例を参考にせずに、自身のイメージに浮かんだ「古びない形と座り心地」を探しながら制作した。気に入る出来となった。

 

その後、東京国立近代美術館の工芸館で、冒頭の長椅子に出会ってしまった。
座ることができる場所に置いてあり、すこぶるよい座り心地。極端な座面の低さと奥行きに仰天した。自身の作り上げたベンチのイメージが、気持ちよく裏切られ、高いところを飛ぶ鳥を見上げるような爽やかな体験をしたのだった。

 

黒田辰秋の長椅子を先に体験していたのなら、先の注文をどうさばいていたのだろうか?その、すこぶるよい座り心地を、どこかで自身で作ってみたい思いが続いていたが、真似て作ったらお終いだという感覚も同居していた。
 

結果、欲求が勝ってしまった?のだが、《キタタミ》を口実に作ることにする。どこまで自分の足で立っているのかという制作上の問題(作っているのか?作らされているのか?)を、持続させられれば、想像する出来上がりよりは、マシな結果が待っててくれているのではなかろうか?
 

令和5年7月1日現在、部材ごとの大まかな木取りを終えている。
石上和弘

石上 和弘  |  ISHIGAMI Kazuhiro 

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